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まんざらでもない生活日誌略して「まんせい」

本、漫画、映画、音楽が好きなサブカルになりきれない者の戯言です

吉野朔美の傑作 『ジュリエットの卵』

吉野朔美さんが亡くなったと聞いてショックを受けました。

吉野さんの作品は、思春期の自分の心を

大きく揺さぶるものばかりだったから。


その中でも、自分が一番最初に読んだのは

『ジュリエットの卵』でした。

集英社版・全5巻、小学館文庫版・全3巻で出てます)

双子の妹、飴屋蛍は兄・水(ミナト)と過ごした故郷を離れ、関東の美大に進学する。
そこで初めて女友達や学校の仲間ができる蛍だが、実の兄の水を『恋人だ』という蛍に周囲はとまどう。
水だけを溺愛する母親の元で、水だけを見て隔絶した環境で育った蛍だったが、やがて同じアパートの住人・下田や周囲の影響で新しい世界を開いていく。


『ジュリエットの卵』は当時『ぶ~け』という

集英社系の雑誌で連載してました。

今、ウィキペディアを見たら『マーガレット』の姉妹誌と『りぼん』の姉妹誌

を母体に作られ、『マーガレットをりぼんで束ねて”ぶ~け”』という語源だそうな。

知らなかった。


マーガレットやりぼんに掲載されているのは

昔からどちらかというと恋愛コミックが多かったものですが、

『ぶ~け』はファンタジーあり、SFあり、歴史ロマンあり、ギャグあり、

みたいな、バラエティーに富んだ雑誌でした。

今でもある雑誌に例えると『花とゆめ』や『Flowers』とかに近いのかな。


読んでた当時の『ぶ~け』はB5判で、少し小さく分厚かった。

そして普通、少女漫画誌の裏表紙には「日ペンの美子ちゃん」とかの

広告が載っているものでしたが、

『ぶ~け』は表表紙と裏表紙がつながっていて、

ひとつの絵になっていたのでした。


執筆陣は 吉野朔美だけでなく、松苗あけみや水樹和佳、水星茗など

耽美で美しい絵柄の漫画家さんが多かったので

表紙絵だけでも乙女心をくすぐるような美しさでした。



さて、『ジュリエットの卵』は、

双子の兄と妹との恋愛がテーマの物語。


これだけでも当時まだ中学生くらいだったわたしには

「兄妹で?恋愛なんて?しかも双子?本気で?」

という疑問符が頭の中でいっぱいになったものです。


蛍(ほたる)↓ 
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水(ミナト)
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母親は兄の水(ミナト)だけを溺愛していて、

蛍(ほたる)はいつも無視とはいかないまでも、無関心の中で育ってきた。

兄と妹、隔絶された二人だけの世界で、当然のように二人は

愛し合うように。

『私達、一生ふたりで生きていこうって誓ったの』

そう言う蛍。けれども、

『母に知れたら 私・・・ 殺される―――』

二人の関係を知ってか知らずか、水だけを手元に置きたかったためか、

母親は蛍だけを関東の大学に入れたのだ。


初めて一人だけで対峙する世界、人々。

「水のいない世界は醜い」

水以外のすべてに無関心だった蛍は周囲の人とのかかわりのなかで

徐々に自分の心を開いていく。


そのキーワードになる人物が隣の部屋の住人、下田。

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(ぶ~けコミックス3巻表紙より)


この下田さんが大学生とは思えないほど包容力と頼りがいがある人物。

彫刻科というのも渋い。

何かと蛍のピンチを救ってくれる彼にいつしか蛍は

水に対するものとは別の感情を抱き始める。


一方、蛍のいない生活の中、水はそれなりに女遊びもしているが

蛍だけに執着する気持ちは消えていない。

下田に心を開き、自分の知らない世界に出ていこうとする蛍に

危機感を感じはじめる水。


やがて、二人の関係性に気づいた母親によって事態は思わぬ方向へ・・


繊細でシリアスなラブストーリーながら、

蛍のマイペースで浮世離れした今で言えば「天然」なキャラクター、

隣りの下田さん、下田さんの飼い犬「日の丸」、

そして大学の個性的な仲間によってコミカルな面もあるのが

この作品の助けになっており、

息詰まるような展開の中での癒しだったのですが

終盤に近付くにつれて

どんどん嫌な予感が作中に広がっていくのです。

その不穏な感じの表現が吉野さんの真骨頂。


蛍の友達で男の子に間違われるくらいボーイッシュな小夏(こなつ)

なんかもとてもいいキャラクターなのですが

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最後までちょっと報われなくて切ない。


自立し始める蛍とは反対に

狂っていく母親、蛍への執着心から自分を見失う水。

そして、明かされる残酷な真実。


ストーリーも素晴らしいですが、

このころの吉野さんの絵柄がまた美しい。

花が咲いたり散ったり、庭の草木が生い茂ったり、枯れたり、

澄んだ星空や月の光、そういったもので

さりげなく季節感が表現されており

夏のうだるような暑さや、冬のキンとした空気の張りつめたような感じが伝わってくる。

絵描きとしても凄い人だなあと思います。

1ページ1ページがまるで絵葉書のよう。


内容も絵柄も今見ても全然古臭くない。

そして読むたびに発見があり、衝撃を受けてしまいます。


連載当時は、この終わり方に絶望を感じていましたが

今読み返すとそればかりではない、

希望を表現しようとしていたんだなあ、とも思います。

(でも実は吉野先生自身は完全なバッドエンドで終わらせたかったんじゃ?

という気もしています)



吉野朔美の作品はどれも心に響き

ときに落ち込ませも絶望させもするんだけど、

これほど繊細な心の動きを紙の上で表現できる人を

自分は他に知りません。


彼女の新しい作品がこれ以上読めなくなるのはとても残念で

ひとつの素晴らしい才能が失われたのは本当につらいことですが、

これからも残された作品を大事に読んでいこうと思います。


そして、読んだことのない人には一度手に取ってその素晴らしさを

体感してもらいたいなあと思うのです。